うつ を演じる 演技性人格障害 について

強迫性人格(完全主義) についてふれましたが、それとはほぼ逆の人格障害があります。

これは「演技性人格障害」と呼ばれるものです。演技性人格障害の男性、女性は非常に感情的で、外交的、ドラマティック、衝動的、純真、そして非常に誘惑的です。彼らはルックスもよく、社会的にかなりのカリスマ性を持っています。

強迫性人格が男性に多く見られるのに対し、演技性人格障害のほうは女性に多く見られます。完全主義者はだれよりもうつになりやすいのですが、演技性人格障害の人はうつの演技をします。演技性人格障害の女性はとくにうつを訴えます。

しかしよく診察してみると、彼女らがうつに関する最新のすぐれた本でも読んでいないかぎり、真のうつを患っていると診断されることはごくまれです。

こうしたケースを「演技的うつ」と呼ぶことがあります。演技性人格障害の人(男女ともに) も他の人格障害のタイプと同じく、ときにうつになります。しかし彼らは、子どものころからずっとうつのふりをするか、あるいは人を操作するために一時的にうつになるのです。人の関心を向けたいとき、権威ある人(普通、親、友人、伴侶など) の言いなりになりたくないときにそうするのです。

完全主義者の場合、深刻に自殺願望を訴えるときには本人を保護するために入院させます。しかし演技性人格障害の人が自殺したいと言っても、私たちは普通、「それもひとつの選択肢ですね。でも、あなたが怒っていることを他にどんな方法で表せるでしょうね? 」と言います。そして夫に対して過激に行動してみせるかわりに、夫にその感情を告げるなどの他の選択肢をいくつか話し合います。

すると、数分間のうちに自殺をほのめかすようなうつ状態は解決するのです。自殺を何回も「試みた」演技性人格障害の患者は数多くいます。ある方は自殺を17回「試み」ました。しかしこうした患者のうち、実際死亡してしまう人はごくわずかです。

このタイプの患者が実際に自殺をする状況についての報告を読んだことがありますが、普通、死に至ってしまうのは事故の場合が多いようです。

たとえば、ある演技性人格障害の女性が夫に腹を立てているとします。夕方5時に薬物の多量服用をすれば、5:30には夫が帰宅して彼女を見つけ、病院の救急室に担ぎこまれるという筋書きを立てます。しかし夫の帰宅途中に車のタイヤがパンクして、家に着くと6:30を回っており、妻は死んで発見されるわけです。彼女はまったく死ぬ気はなかったのです。

こうして衝動的に、「事故」で自殺したことになるのです。私たちはもちろん、演技性人格障害の患者であれ、すべての自殺するという脅迫を深刻に受けとめます。というのも、事故死という可能性もあり、自殺をほのめかす人の1割が実際に死亡しているからです。ですから、私たちは演技性人格障害の患者の自殺の脅しを現実的に受けとめ、そうすることで患者は脅しの手を使わずに、怒りを別の方法で表現することを学ぶことができるようになるのです。

強迫性人格の場合と同じく、演技性人格障害の根は、子ども時代にさかのぼります。もし女の赤ちゃんを演技性人格障害を持つ女性に育てたいと思うなら、母親は次の12のルールに従えばいいのです。

  1. いつも母親に意思決定を頼るように仕向け、自分で考えなくていいようにする。
  2. 彼女を甘やかし、つねにいいなりになる。とくにふくれっ面をしたり、泣いたりしたときは折れる。
  3. けっして夫の性的ニーズを満たさない。暖かさと愛情を求めて、夫は妻のかわりに娘に過剰な愛情を注ぐようになる。
  4. 娘が自分を否認するテクニックを学べるよう、たくさん嘘をつく。
  5. つねに性格ではなく、ルックスをほめる。あちこちに鏡をおいて、始終自分にうっとりさせる(これは演技性人格障害を作るのに一番大切なルール)。
  6. 彼女が家出したときは(おそらく彼女は頻繁にそうするだろう)、かならず彼女のあとを追い、最初から彼女の言うようにしなかったことを謝る。
  7. 彼女が悲しそうで、24錠のアスピリン、睡眠薬などを飲みこんで自殺のまねを装うときは、彼女の言うことを最初から聞き入れなくて悪かったとかならず伝える。これは簡単である。なぜなら彼女は母親やボーイフレンドが近くにいて彼女を救ってくれる状況がなければそもそも多量服用をしないから。
  8. 映画スターになるよう彼女に薦める。それまでに彼女は十分にドラマティックで、演技はかなり自然に身についているだろう。
  9. 離婚、再婚を2~3回くりかえし、男はみなクズだと教える(しかし彼女はそれでも男と暮らすはず)。
  10. 誘惑的な衣服を着るよう薦める。しかし、実際はあまり薦める必要はないだろう。なぜなら彼女は父親を喜ばせるために自然とそうしているだろうし、父親は娘の性格でなくルックスのよさを賞賛し続けるだろうから。
  11. 娘がデートから帰るのが2時間遅れたら、夫といっしょになって娘をしかる。そして好奇心いっぱいの笑いを浮かべて、興味をくすぐる詳細を聞き出して楽しむ。しかし娘のアドベンチャーを自分がどんなに楽しんでいるかは、たとえ娘は知っていても、気づかせないようつとめる。
  12. 具合が悪いふりをする彼女につくしてあげる。そうすれば彼女は自分の本当の感情に向き合うかわりに病気になって、医者から医者を渡り歩き、しかし何も悪いところは見つからず、こうしたいばった男性の医者たちにますます腹を立てるようになる(だが、助言を求めて何千ドルも使い続けるだろう)。

世界中で精神科の聖書とされている「精神科診断マニュアル」によれば、演技性人格障害の人は、「興奮性、感情の不安定、過剰反応、自己の演劇化に特徴づけられています。この自己の演劇化はつねに関心を呼ぶためのもので、患者はその意図に気づいているいないにかかわらず、誘惑的であることが多いのです。こうした人格はいつも未熟、自己中心的で、うぬぼれが強く、普通人に依存する」となっています。

演技性人格はまた、私たちが受動攻撃性人格と呼ぶ性格傾向(これには「妨害癖、ふくれっ面、ものをぐずぐず先のばしにする、わざと非能率的にものごとを処理する、頑固」などが含まれる) よりも高い率で見られます。

これらは敵意をむき出しにすることなく、依存している人に仕返しをする方法です。私たちの大半がときにはこうした方法のどれかをとったことがあるものですが、真の演技性人格を持った人は、つねにこのようにふるまいます。

ここで2つの短いケーススタディを出しましょう。ひとつは、数年間の治療に通った女性(ジェーン)の演技性人格のケースです。

ジェーンについては、すでにグリーフ(深い悲しみ) を否認しています。彼女は14歳のとき、何度も家出をくりかえして、薬物に手を出し、奇妙な行動をして、総合病院の精神科に入院しました。

たとえば、学校のトイレでかみそりを使って自分の背中を切り、教室にかけこんで、女性の先生(彼女が好意を寄せていた)に切られたと告げるのです。自分に注意を向けてもらうためならほとんど何でもするのです。彼女が病棟のジュースの乗ったカートに向かって話しかけているのを見たとき、完全に精神症状が出現したのかと思いました。しかしあとでわかったことには、それも、人に注意を向けてもらうための演技だったのです。

彼女は病院での集中的な6週間の精神療法ののち、2年間外来で週1回の精神療法を続けました。その間、半日ほどいなくなったことが1回、薬の多量服用が6回ほどありました。これは、すべて母親を操作するためです。ときどきマリファナを吸い、100回もかんしゃくをおこしました。

それでもそのすべてが以前と比べると劇的に改善しているのです。彼女は16歳で少女のための小さな施設に入ったのですが、そのころまでに彼女はだいぶん成熟していました。最初患者としてやってきた14歳のときの彼女は、IQテストは135という高得点であったにもかかわらず、心理的成熟度は3歳だったのです。

16歳で彼女はやっと10~12歳くらいのふるまいができるようになりました。親は、子どもの健康な成長に必要なものを提供できない状態を14~16年も続けてきたあとで、精神科医に数週間で自分たちのミスを全部治療できるだろうと期待するのです。

ことはそう簡単ではありません。 私たちにできることは、親が子どもの課題をのりきる方法のいくつかを探しだす手伝いをするだけです。ジェーンの人生最初の6年間をみてわかったことは、母親が上流階級の出身で、父親は経済的に成功していても、心理的にはとても弱く未熟、といった環境で育ったことです。

家庭では母方の祖母が支配的で、この彼女もまたビジネスの成功者でした。母親は夫をけっして性的に満足させたことはありませんでした)。それで父親は関心をすべて娘に向けました。そして彼は、妻や娘以外の他の兄弟たちを完全に無視しました。

いかにが愛らしいかを何度も何度もほめたたえました。しつけたるものはまったく考えにおよびませんでした。

ほしがるものは何でも与えました。父と母は別々の寝室で、娘は毎晩父といっしょに寝ました。就学前には少なくとも一度、母方の祖父に性的いたずらを受けています。

この祖父もかなり老いており、支配的な妻からけっして性的満足を得ていませんでした。

5歳のとき、彼女と父親がいっしょにべッドで寝ていると、突然父親が心臓発作をおこしました。救急車が呼ばれ、寝室から彼が出て行くときに、「心配しないで、、戻って来るからね」と言ったのです。

しかし父親は病院で息を引き取り、それを信じょうとしませんでした。数ヶ月、彼女はクローゼットやドアのうしろを探し続けました。父親は娘の命そのものだったのです。

彼女は想像力をたくましくして、日に何回も父の名を呼び、父が彼女に話しかけるために部屋に入ってくるのを想像しました。

16歳になってようやくそうするのをやめましたが、それでもたまにそうしているようなふしがあります。強大な否認のテクニックを用いて、ときに彼女は実際そこに父親がいると信じるのです。.

自分がこんなに父のことを必要としているのに、彼女をおいていった父を責めました。もし彼がまだ生きていて、まるで妻のようにふるまい続けたなら、状況は現実よりはるかにひどくなっていたことでしょう。

しかし彼女は父を愛するのと同時に嫌悪していました。彼女は男性一般に対して苦々しい態度をとるようになり、また、大人になるにつれてますます誘惑的な行動をとるようになりました。彼女はまさに演技的人格をフルに発達させました。

2年間定期的にセラピストに会うようになって、彼女は彼女の誘惑、操作に引っかからない、そのかわりに真の愛を率直に示す年上の男性を信頼し、見分けられるようになってきました。

セラピーを受けている間、彼女は信仰をもって成長しようとしましたが、やがて父を操作したのと同じ方法で、神を自分の都合のいいように理解しょうとしている自分を発見しました。ほとんどの人と同じように、彼女は、神は父親みたいなものだと思い、神の全知性、無限力、真の愛と完壁な正義を受け入れるのに困難を覚えたのです。

母親に、家でどう彼女を扱うかに関して話をもちかけましたが、関節炎と心臓病を患った母親は、適切な方法でをしつけることができずは近くの町の小さな施設に住むようになったのです。そこで彼女はうまくやっているとのことです。前述したように、演技性人格障害を患うのは女性ばかりではありません。前に紹介したリストを息子に当てはめれば、容易に息子を演技性人格に育てることができますし、実際多くの男性の演技性人格者がいます。すぐに思いあたる方もいるでしょう。

演技性人格障害の患者は、意識的、無意識的に異性を誘惑し、相手をおとしめてその相手もまた他の男(女)と同じく無価値であることを示そうとします。

売春をする多くの女性が演技性人格であると言う人もいます。多くの演技性人格障害の女性は、性的に自分をおとしめてくれるいい男を求め、そしてまわりの人間には「彼にそそのかされた」と言いふらし、彼の評判を傷つけるのです。

演技性人格の女性の内的心理

過剰に感情的な(演技性人格の)大人の女性の心理構造をさらによく理解するために、かりにMという女性に登場してもらって、彼女の思考、感情を探ってみましょう。Mは社交的で、人好きのする成人女性で、現在2度日の結婚生活を送っています。

最初の結婚は17歳のときのことでした。相手は「ドンファン」タイプでカリスマ的なすごいハンサムで、しかし依存的な男性でした。彼女は、セックスが妊娠につながるということを「うっかりして」忘れてしまったために、結果として彼と結婚することにしたのでした。

実際は、私たちの意見では、彼女は無意識に彼女の父を罰するために妊娠したかったのです。彼女と最初の夫との間では最初からケンカが絶えませんでした。そして両者ともに、カウンセリングに通うことで衝突を解決しようとするほどの責任感は持ち合わせておらず、結局「性格の不一致」のせいにして離婚しました。

これはよく見られる理由づけです(実際には「性格の不一致」たるものはなく、ただやる気のない人間が二人いるだけです。いかなる人格タイプの二人でも、いいカウンセリングを受け、プライドを飲みこみさえすえば、幸せな結婚生活をおくることができます。

ただし両者ともに、何らかの責任ある変化をもたらす意欲がなくてはいけません)。マリリンは離婚後、1人でいる自由さに耐えられずに、すぐに経済的に安定した、自信たっぷりの年上の男性と結婚します。彼女は、彼が相当な強迫性人格であることや、彼の安定感、自信がうわべだけのものであることを理解していませんでした。

また、彼女にとって彼は、対等なパートナー同士であるというよりも、父親代わりだったことにも気づいていませんでした。さて、このMの思考プロセスの内奥まで入りこむ旅を進めていくにつれ、私たちはものごとがより鮮明に見え始めるでしょう。

たとえば、Mは感情的で、興奮しやすく、ときに気落ちしているように見えますが、人好きのする、とてもさわやかな人格のときもあります。彼女は社交的でもあり、パーティの華です。人々は彼女の華やかさにひかれて周囲に集まります。彼女は本当にカリスマ性があり、人々は彼女といるのが楽しみです。

彼女はときに芝居がかっていて、魅力的な身体をしており、人の関心をとりわけ必要としています。彼女は活発で、言葉使いは演劇的かつ表現力たっぷりです。心の奥底では自分自身を愛していないにもかかわらず、人を落ち着かせる能力を持っています。

また、彼女は表面的には感情豊かに見えますが、深層レベルでは人に近づくのが苦手で、理論より感情に重きをおきます。彼女はつねに現在に生きており、未来や過去にはこだわりを持ちません。でも夫はむしろ未来に生きており、将来の目標プラン設定に忙しいのです。

Mの社交上の友人は、彼女が相当に見栄っ張りで自己中心的なことに気づきません。ようばう男性のなかに入ると、彼女は自分が心から欲する「関心」を得るために、美しい容貌を使い、彼女に近づく男性と身体的な「親密な関係」を持とうとします。とくに夫が出張でいないときなどは、他の男たちとよくセックスをします。男性の注目を得るのが大好きで、男たちを操作するためにセックスを利用するのです。

しかし彼女は劣等感を感じており、美しいにもかかわらず、自分の容姿が好きではありません。彼女の人の関心をひく能力に満足できず、自分がいっぱしの人間であることを証明しようとします。夫が彼女を甘やかさないと、彼女はアスピリンやバリウムを多量服用したりしますが、致死量までは飲みません。夫に罪悪感を持たせるに十分な量だけを飲むのです。彼女はドレスやしぐさで巧妙に誘惑し、自分が望む関心を得ようとします。

彼女は拒絶を強烈に恐れているのです。彼女は異性としょつちゅう衝突します。異性をときに過小評価し、またあるときは過大評価します。父親と多くの衝突があり、けっして折り合いをつけていなかったからです。彼女は、子どものころ、うまく操作すれば父親をコントロールできることを学んだことを覚えています。

しかし父親もまた、ときに予測不可能な行動をする男性で、彼女はこれを父親に拒否されたとあいむじゅん感じています。これがのちに男性に拒否される恐れとなり、同時に男性への相矛盾する感情を抱かせることになります。父親やその他の男性への強力な怒りがたまっているため、彼女は夫とのセックスでは冷感症ですが、他の男たちとなら、ある程度セックスを楽しめます。

社会的には、彼女はとても暖かく魅力的な印象を与えますが、感情の起伏が激しく、ものごとを理性的、論理的に見つめる力が欠如しているため、生活はとても不安定です。感情は大切ですが、感情は気まぐれで移り気なのです。

Mは相当感情的であるにもかかわらず、多くの深い感情を抑圧しています。とてもオープンに見えるので、新しい友人はずっと以前からの知り合いのような気持ちになりますが、表面的な関係以上のものを築くことは難しいのです。つまり彼女の知り合いは、彼女と知り合って1時間しかたっていない人程度にしか彼女のことを知らないのです。

Mは、落ち着いた自信たっぷりげのうわべの印象を作り出しますが、不安定感を感じひんばんています。そして療繁に退屈さを味わいます。また、夫はいつも時間に正確ですが、彼女はたいてい時間にルーズです。

これは夫を罰するために彼女が無意識にすることです。そして、彼はすべてを詳細に計画しますが、彼女は詳細はどうでもいいのです。夫は実にきちんと道義をわきまえた人ですが、マリリンは非常に衝動的で印象やカンに頼ります。

一方、アート、音楽にとてもクリエイティブで、鮮やかな生き生きした創造力を持っています。夫はお金に関しても非常に厳しいのですが、マリリンはかなりの浪費家です。

Mはまた、男性と張り合おうという敵対心を持っており、性的にも男を負かそうという気持ちを持っています。セックスを通じて男を魅了し、コントロールします。そして、彼女は権力のある父親的な人物を選びます。男は彼女の容貌ゆえに、ステータスシンボルとして彼女を見ます。

また、彼女は母親的な人物でもあり、男の甘えのニーズを満たします。Mの幻想は、愛と人の関心をめぐつてふくらみます。一方で強迫性人格の夫は、パワー獲得を追い求めています。

子どものとき、Mは病気になって人の関心を得ることができました。また子どものころ、自分の要求を認めさせるには芝居がかったやり方が効果的だったのを覚えています。

また彼女は、過剰に母親に甘えることを学びました。これは彼女の成熟を妨げることとなり、それしっとでいっそう彼女は、特権は男に与えられていると感じ、男性に対して競争心と嫉妬を抱いたのです。幼いころは父親と非常に親密だったのですが、そのうちに父親との衝突が始まり、思春期あたりになると相当の拒否感を感じました。十代のMは人に評価され、認められようと必死でした。他の美人の女性たちとの関係がまずくなったのは、彼女たちが男性の関心をめぐってライバルになるからです。

演技性人格の特徴

ところで、私たちはみな男女とも、ある程度の演技性性質を持っています。私たちの経験から言えば、その傾向が強いほどに、以下の傾向が多く見られるでしょう。

  1. 外交的でいっしょにいて楽しいと言われる
  2. 演技的なふるまいが多い
  3. 不安定ですぐ興奮する
  4. 見栄っ張りで自己中心的
  5. 依存心が強い
  6. 自殺をほのめかす(薬の多量服用をするなど)
  7. 行動も誘惑的(自分では気づかない、わかりにくい方法で誘惑をする)
  8. 異性に対して相反する二面性を持つ
  9. あまりものごとを深く考えない(感情に頼りすぎる)
  10. 異性の関心を何よりも求めるにもかかわらず、無意識に異性への怒り(憎しみ)を持っている。
  11. 他人の関心をひく行為をする
  12. 父親的存在を探し求めている
  13. 父親への深い、苦々しい思いを抱いている
  14. 外見は魅力的ではきはきしている
  15. やたら大げさにものを言う
  16. とてもオープンで、多くのことをすぐに人にしゃべる
  17. すぐに知り合いになり、長いつきあいのような気分になる
  18. しかし深い親密さはめったに築かれない
  19. すぐれた想像力を持っている
  20. 相手を自分の世界観にひきこむような話術を持っている
  21. 表現豊かで落ち着いた印象を与える
  22. 時間にルーズで詳細なプランニングが苦手
  23. とっさのひらめき、カン、印象に頼り、信念を持たない
  24. わくわくする、インスピレーションを与えるような仕事が好き
  25. 他の素敵な女性に敵意や競争心を持っている
  26. 男よりパワーを持ちたいと願っている
  27. 自分は病気だと思うことで感情的問題に直面するのを避けることがある
  28. 人から愛と関心を受けることをつねに求めている
  29. 拒否されることに対しての恐れが強い
  30. 十代のころは、おてんばの時期が長かった
  31. 父親は魅力的で支配欲求が強かった
  32. 幼いころ(5歳以下)は父親と非常に仲がよかった

 

「いい子」に育てられた人はうつになりやすい

あらゆる人格タイプのうち、他のどのタイプよりもうつにかかりやすいタイプがひとつあります。それはいわゆる「いい子」たちです。

自分を犠牲にして、頑張りすぎることが多く、まじめでそしてかなり宗教的なタイプです。精神科医はこのタイプを強迫性人格と呼びます。

一般的には、完全主義者、A型人格、仕事中毒、献身的召使などと呼ぶことがあります。

テストを行なった医者の90% 、聖職者の75% がこの強迫性人格の多くの要素を備えていました。弁護士、ミュージシャン、エンジニア、建築家、歯科医、コンピュータープログラマー、その他の専門職も強迫的傾向を強く持っています。

これはおそらく医師、歯科医、ミュージシャンがもっとも自殺率が高いことの原因と言えるでしょう。さらに宣教師もまたよくこのカテゴリーに入ります。

この結果に、多くの人は驚くでしょう。勤勉でなくわがままで、あまり社会や人のために役に立つとは考えられない人があふれる世の中で、社会で献身的につくしている人たちに一番うつや自殺の傾向が多く見られるとはどういうことなのでしょう?

人間の深い「無意識のダイナミクス(力動)」を研究した人は、うつは自分で選択しているものであることを認識しています。

自殺もしかり。そして幸福も自分で選んだ結果なのです。うつにおちいるこうした献身的な人たちは、私たちと同じく個人的な欲求と戦っているのですが、完全主義者の個人的な欲求は微妙でずっとわかりにくいのです。

彼らは週に80~100時間、人のために働き、しかしそのために、自分の妻や子どもたちをなおざりにしています。自分の感情は押しこめて、コンピューター化されたロボットのように働いています。

愛や共感で人を手助けしようとしているように見えますが、実は自分の不安さを無意識に埋め合わせようとしているのであり、また世に認められたいという強い願望と完壁でなければならぬという欲求を満たす手段としてひたすら働いているのです。彼らは自己批判的であり、内部の深いところでは劣等感を感じ、本当の自分がいないと感じています。

こうした人たちは、中年になって怒りが出てきます。神には、あまりに多くを期待されすぎているとして、また家族、同僚にも同じ理由から怒りを持ちます。子どもたちからは反抗的な態度をとられ、そして自分自身が完壁でないことに対しても、怒りに圧倒されるようになります。そして深刻なうつになります。

真実への洞察が欠如しているために、彼らはかなりつらい痛みと絶望感を抱え、気弱になると自殺を図ったりします。本書が、こうした問題に対して貢献できればと願い、祈るものです。

うつは貴重な時間を無駄にします。自殺はあとに残された人にとてつもない影響を与えます。本章では、いかに完全主義(強迫性人格) が子ども時代に養われたものかを示す貴重な研究を分かち合いたいと思います。

そして多くの完全主義的仕事中毒者らの無意識レベルにある心のダイナミクスについてふれたいと思います。

まず、もしあなたが妊娠中の女性で、完全主義の子どもを産みたいとしたら、以下のようにすればいいでしょう。

精神疾患の診断・統計マニュアルによれば、強迫性人格は「過剰に厳格で、生真面目、過剰に良心的、義務感が強く、なかなかリラックスできない」人の診断名です。もしこれが進行すると、状況は次のようになります。本人が止めることのできない考え、欲求などがひつきりなしにおそってきて、コントロールが効かない。本人は突拍子もないと思いながらも、ある特定の言葉、考えなどが反復して止められない。行動面では、単純なある動きから、手を洗うことがやめられないなどまでさまざかんすいまな様相を呈する。

患者がこの強迫行動を完遂できないとき、または自分ではコントロールでけねんきないことを懸念している場合に、不安とイライラが見られるようになる。

強迫的な子どもが育つ13のポイント

  1. いつも口先だけ、話ばかりで、実際に体では動かずに、けっして子どもの言うことに耳を傾けない。
  2. 子どもに完全なエチケットとマナーを期待する。ミスを許さない。
  3. 内向的で、他人と健全にやりとりをする姿を子どもに見せない。
  4. まわりの人に極めて批判的。牧師など聖職者、近所の人たち、夫、そして何よりもその子ども本人に対して。
  5. 実にいやみな人間として振舞う。
  6. 夫、子どもを支配する。
  7. 他の子どもよりもつねにすぐれていることを要求する。
  8. 自分自身ではこれといった信仰を持たず、子どものおじいちゃん、おばあちゃんの信仰をあれこれ批判する。
  9. 子どもに父親を尊敬するように言って、実際は夫をないがしろにする。
  10. 子どもに12ヶ月めで完全におむつがとれることを期待する。
  11. 将来のための貯金と称して、常識を越えた守銭奴になる。
  12. 法律の基本方針ではなく、条文そのものの遵守を強調する。規則をごく厳格にし、例外をけっして認めない。
  13. 子どもの性的関心を恥ずかしいことだと決めつける。

強迫的になる子どもの親は、どうやらこうしたルールに従っているようです。しかし、ある程度の強迫性は人生で有益であり、これによって勤勉になったり、良心的で道徳的な行動をとることが可能になるという側面もあります。

私たちがテストを行なった医師と医学生の大半は、いくつかの強迫性人格を示しています。まじめに取り組まなければ、医学部や開業医の厳しい要求をくぐり抜けることはできないのです。また、多くの神学生、牧師も極めて強迫性人格的です。使徒パウロにも何らかの健全な強迫怪人格傾向があったようですが、不健全なものは克服しなくてはいけなかったことでしょう。しかし親が前述の13のリストを用いて子どもを育てたなら、強迫性人格はコントロールできなくなってきます。

完全主義者の内的心理

前述の方法にすべて従って、過剰に不安で完全主義的な子どもを育てたとします。その子が大きくなって結婚し、大学を主席で卒業しようとしています。

この子をは完全主義 として、大人になった彼の無意識の心理を探るとしましょう。

まず、何をするにも完全主義です。過剰に責任感が強く、良心的で、働き者です。リラックスできず、自分自身やまた自分に近い人たちに厳しく接します。自分に厳しいため、また良心があまりに強いために、落ちこみやすくなります。

これまで一生懸命頑張ってきたのに、けっして十分やったとは思えません。何事にも精魂を使いはたしてしまう傾向があります。経済的には成功していますが、内側でもっと頑張れと自分に言い聞かせているので、けっして満足しません。

また、冷たい人に見えます。事実だけが大切で、感情には無関心の傾向があります。彼には、感情はわからないのです。また、彼にとって感情は事実よりコントロールが難しいのです。そして、は自分自身、自分の考え、そして近くの人々を支配・コントロールしたいという強烈な欲求があります。

このため、彼は事実を重んじ、感情を避けるために無理をしてでもものごとを理性化します。これは不快な感情だけでなく、ほんのりとした暖かい感情についても同じです。なぜなら暖かい感情もまた彼にはコントロールしがたいからです。コントロールできない感情は、ただ不安感を増してしまうので、そうなると今度は感情を感じないよう感情を避けるのです。

つまり、厳格なコントロールを維持することで、自分が内奥で感じる感情を抑えておくのです。こうした不安感を抑えきれないときに、うつがおこります。いつも人のいいなりで、従順です。でも彼を引っ張っているのは怒りなのです。

そして従順と反抗がときに衝突します。この怒りを感じないですむとき、今度は強烈な恐れが出てくるのです。これは権威への恐れで、この恐れが即座に従順さにひき戻すのです。

この恐れは、子どものころに母親に怒りをぶつけて拒絶をくらったことを想起させます。そして、この恐れが、まじめで、良心的で、いい人といった彼の傾向をもたらすのです。

これらは、外見的体裁は良いとしても、健全な源から出ているのではありません。彼の自己肯定感は、条件つきでのみ親に受け入れられたことがベースになっています。条件つきの受容は、彼に幼児期の体験を想起させます。できて当然と期待され、その期待を達成したときにのみ、愛情が与えられるものと思ったのです。

こうしたダイナミクス(力動) がジ極端な完全主義者にし、けっして自分自身に満足せず、つねに内側から自分に攻撃をしかけることになり、よって深刻なうつがおこりやすくなるのです。

大人になると、神も含めた他者との関係に不安感をおぼえます。親から受けた愛情は条件つきだったため、神に対しても同じように見てしまうのです。信仰に疑問を感じることがよくあり、また自分が救われることに疑いを抱いています。

自分が神に拒否されるのでは、という深い不安感と恐れをコントロールします。でも、実はは秘密裏に主を求めているのです。なぜなら、神は無条件では自分を受け入れるはずがないと感じているからです。

自分自身や妻に批判的で、この批判的な性格が彼らに影響を与えます。この自分の批判的性質ばかりか、強烈な怒りによっては内奥から裂かれています。ほんの少しを見るだけで、彼がいかに怒っているかがわかります。それは顔の表情や動き、固い姿勢に現れているのです。こうした強迫的な人が普通考えるのは、自分の将来についてです。

いつも未来の目標に向かって計画を立て、頑張っています。けっして現状に満足しません。つねに自分にいろんなことを課していきます。人は逆のタイプの人とひき合う傾向があるので、妻はおそらく彼と反対の性格なのでしょう。妻はヒステリックでさらに激しく現在の感情に左右されます。

うつが進むにつれ、彼の思考は未来から過去へとシフトしていきます。そして、過去のミスや失敗を大いに気を病むようになります。

自分を防御するのに使う手がいくつかあります。そのひとつが「孤立」で、自分の気持ちと感情を孤立させます。彼はまず自分の感情にほとんど気づいていません。葬儀のときですらこの孤立を用います。取り乱すことなく落ち着いた装いで葬式をやりすごし、しかし内側では深くひき裂かれているので、のちにうつがおこります。

もうひとつの防御メカニズムは、「帳消し」です。罪悪感でいっぱいで、犯したミスをもとに戻せないものかと思っています。この罪悪感を帳消しにしようとする(取り消そうとする) 自分の内側の動機に彼は普段気づいていません。

無意識に使う別の防御は、本当にしたいことのまったく「逆をする」ことで、衝動、感情を守るのです。

たとえば、自分が抑圧している性的欲望を打ち消すために、ふしだらな性行為を一掃するキャンペーンの先頭に立ったりします。あるいは女性といちゃつきたい自分自身の願望を妻に投影して、妻が他の男といちゃついていると不当に責めたりするかもしれません。

こうした防御行為によって、とりあえずはうつにならずにすんでいます。自分の怒り、恐れ、罪悪感、罪深い欲望に気づくと圧倒されてしまうので、こうして自分をあざむくのです。本当に必要なのは、精神療法など、人の助けを借りて変わり始めることなのです。

そして、自分自身の真実に責任もって対処することを学ぶことなのです。まだほかにもたくさんの無意識の行動をしているでしょう。彼の不安をコントロールし、人との親密な関係は感情をかきたてますが、感情は彼にとってはまったくコントロールしにくいものなのです。

おもに3つの懸念事項を抱えています。それは、時間、ほこり、そしてお金です。子どものころ、いつも母親に時間を守るよう言われていました。寝るときも、トイレに行くときも、いつも母親に時間にルーズにならないよう言われ続けていました。こうした幼児期の体験は深く刻みこまれ、大人になるまで持ち越されているので、いまだにいつも時間を気にします。

またお金のことも気になります。お金は地位とパワーをもたらしてくれるからです。さらに、頭の中では、ほこりは自分が無意識に抑圧している罪深さを象徴するので、非常に気になるのです。

だから、妻には家を隅から隅まできれいに掃除をするよう要求します。罪悪感をかなり感じるときは、何度も手を洗います。しかし、なぜ自分がこのような行動をするのか気づいていません。不安や無力感、絶望を感じています。ことさら彼は、不確実な世の中で不安を感じます。こうした不安定感はコントロールできないので、道にコントロールをしたいという過剰な要求を増大させます。

この不確実な世で自分の不安感をコントロールするために、偽りの全能感を身につけ、極めて自信たっぷりにふるまい、実際そうであるかのように自分や同僚たちをうまく納得させます。また知的に何でも知っていたいという強い欲求を持っています。

すべてのものごとをコントロールできると感じていたいのです。しかし、自信たっぷりの見かけとはうらはらに、意思決定がなかなかできません。間違った選択をしてしまったら大変だからです。すべてに関して真実がほしいのです。それには神学の分野も入ります。神学的に、少しでもはっきりしないことがあると、うつが押し寄せます。彼がよくいろいろな哲学論議にふけるのは、責任逃れの方法なのです。

たとえば、彼は良き父、良き夫とは何かということを語ることができても、実際そうなることは避けるのです。普通非常に時間に正確で、秩序正しく、こぎれいで、良心的な人間ですが、ときにまったく逆の性質を表すことがあります。

たとえば、無精ひげをはやし、良心を欠いて、無責任で、時間に遅れてきたりする人間を演じたりします。

前述したように、完全主義は健全な動機によるものではなく、権力への恐れによるものです。そして非完全主義者の性格は、従順でなくてはならないことに対する反抗的な怒りによるものなのです。

かならずといっていいほど、いつも感情より事実を強調します。彼は頭で感じよう としているのです。感情を避けるために、理性のレベルで人と話そうとします。いつも頑固です。親に対して頑固だった幼年時代に、この性質を学びました。

以上をまとめると、内面からつき動かされているのです。不安をコントロールするために、彼は多くの防御策をめぐらすのですが、その他多くの強迫性人格の例にもれず、最後にうつが現れます。大いに心配し、彼の厳格なライフスタイルがもはや彼の強烈な内なる衝動に十分処理できなくなったときに、うつがおこってきます。内面のダイナミクスをよく検討すると、以下のような多くの強迫傾向が見つかることでしょう。なかには有益な資質もあり、それは彼が一流の専門職に就くのに役立ちます。しかしその他の資質は不健康で、たいていは彼をうつにして終わります。

強迫性人格(男性、女性)の特徴

  1. 完全主義
  2. きれい好きできちんとしている
  3. 責任感が強い
  4. 細部にこだわる
  5. いい仕事をするが、働きすぎる
  6. リラックスできない
  7. かんしゃく持ち、怒りつぼい
  8. こだわりが強い
  9. 思考の硬直
  10. 柔軟性がない
  11. 感情ではなく事実に興味がある
  12. 冷たい感じがする
  13. 外見は安定しているように見える
  14. (ときに) 反権威主義
  15. 従順と反抗のはぎまで悩んでいる
  16. いつも何かに憤りを感じている
  17. ときに反村の気質を示す:良心的/ なげやりな態度、秩序正しい/ だらしないない
  18. おもに3つのことが気にかかる ほこり(いつもきれいにしている)、時間(いつも時間を守る)、お金(安心感が必要)
  19. 自分や周囲の人々をコントロールするパワー願望がある
  20. 強烈な競争心
  21. 感情を他人に見せない
  22. 論理的
  23. 魔術的思考(自分は現実よりもパワーがあると考える) を持つ
  24. 喜びをあと回しにする(無意識の罪悪感)
  25. 性生活はマンネリ化
  26. 甘えの関係を欲する
  27. しかし同時に依存的関係を恐れる
  28. 無力感を持っている
  29. ものごとを決心できない
  30. 些細なことが気にかかる
  31. 怒りをかくす
  32. 緊張して握手をする
  33. 端に意志が固い
  34. 自分の誤りを認めようとしない
  35. 他人との衝突を避ける
  36. 極度の倹約家
  37. 質素で規律正しい
  38. 粘り強く頼りになる
  39. すべてを知っている時のみいい気分になる
  40. すべてのことに究極的真実を求める
  41. 見かけは強く、しっかりしていて、断固と頼りになりそうに見えるが、実はなかなかものごとが決められず、不安で、ためらいがち
  42. 完壁であることを装う
  43. 問違いを指摘されるのが怖い
  44. 確実さを期すためにドアのロックを何度もチェックする
  45. 恋愛では相手の感情はコントロールできないため、恋愛関係に注意深い
  46. 怒りは人との距離をおくので、暖かい気持ちよりは容易に表現できる
  47. 強烈な集中を要する作業が得意
  48. 親は強迫的で、献身を強要した
  49. 親は最低限の愛情しか注がなかった
  50. 子どものとき、条件つきで受け入れられた
  51. すべては白か黒かという画一的な思考方法をする
  52. 社会の不確実性を克服するために、超人間的業績を達成しょうと頑張る
  53. 自分の決心がつかないところが大嫌い
  54. 極端な反応をする傾向がある
  55. 自分の限界を認めることは、情けないと思っている
  56. 儀式好き
  57. 結婚になかなか踏み切れない
  58. 問題を先送りする
  59. 死について考えるのを避けようとする
  60. 自分はめったに人をほめないのに、相手からは最大限の賛辞を求める
  61. 結婚生活で家事を分担しないで自分の最低限の持ち場だけをやる
  62. 結婚ではほとんどのことを相手にかわって考えてあげる
  63. セックスは自発的でない
  64. ものごとの整理が大好き
  65. 慢性的にいつも心配ばかりする

しめくくりとして、罪悪感について少しふれるべきかと思います。罪悪感は蓄積された怒りの一形態であり、よくうつの原因となります。

罪悪感は自分への怒りです。完全主義者は罪を犯したときに「真の罪悪感」を抱くだけでなく、「偽りの罪悪感」も持っています。そしてこの本物と偽りの罪悪感では大きな違いがあります。

フロイドは、すべての罪悪感は偽りの罪悪感であり、罪悪感自体がつねに悪いことだと考えていたようです。多くの精神科医は、罪悪感はつねに不健全だというフロイドの考えに賛成していました。

しかし医師や専門家は反対の意見です。真の罪悪感とは、自分が神の道徳律を犯したという「内なる不快な気づき」です。これはひとつには信仰によって、また自分自身の良心によってもたらされます。

この良心がフロイドのいうところの超自我です。私たちの良心は、親から教えられたことや、親が実践していたこと、教会が教えたこと、教会の信者たち、友人、教師の意見など、多くの環境の影響によって形成されます。

もし聖書を勉強したなら、聖書の教えによっても私たちの良心は形成されます。しかし、私たちの良心はよく間違います。未熟な良心を持った人のなかには、間違ったことをしてもそれが間違いだと気づかない人がいます。

その場合、良心にさいなまれることはありえません。それとは対照的に、すべては罪だと教わった人は過剰に発達した良心を持ち、神が間違っていると認めないものに対しても、良心がとがめられるでしょう。これが誤った罪悪感、つまり神や神の言葉がまったく非難しないものに対して罪悪感を持つことです。

真の罪悪感は貴重です。神が人間に罪悪感を与えたため、人は罪悪感によって自らの行ないを悔い改めることができるのです。間違ったことでなく正しいことをしたときに、私たちは神との親交を深めて、自分のことがもっと好きになるでしょう。間違ったことをすることは私たちの自己評価を下げることです。

正しいことをすれば、自己評価は大いに上がります。精神科医としての私たちの経験では、患者が罪悪感があると言った場合、実際その罪悪感は真の罪悪感であることが普通です。

彼らは罪を犯したから罪悪感を感じるのです。そして彼らがした悪いことを正しさえすれば、落ちこみも直せます。しかし信者の多くが、聖書がまったく非難していないことに罪悪感を感じると訴えます。

たとえば、誘惑を感じたといっては罪悪感を感じるのです。しかし、誘惑されるのは罪ではありません。その誘惑に居座ってそれに負けるのが罪なのです。

偽りの罪悪感のルーツを子ども時代に求めています。偽りの罪悪感の原因は、子ども時代の育てられ方にある。過剰に厳格な期待が親から課されると、過剰に厳格な超自我、良心だけが育つ。たとえば、過剰な非難、中傷、審判、文句ばかりを親に言われて育つ子どもは、自分がその期待にそえない場合、適切な期待が何なのかを知わいきょくらずに歪曲された思考を持つに至り、結果として子どもの罪悪感を高めることになる。愛情ときちんとした説明をもって与えられる適切で正当な罰は、罪悪感を取り除く。ほとんど励ましてあげたり、ほめたり、お祝いの言葉を言わない親もいる。

けっして子どもの行動に満足できないのだ。子どもが学校、遊び、スポーツなどでいかによい成績を出しても、もっとできるはずだと親は満足しません。このような親に育てられた子どもは、自分の自己肯定感がいかにダメージを受けているかを知らず、完壁以外はすべて失敗だと感じて育ちます。どんなに頑張っても、できるかぎり最大限のことをしても、罪悪感と劣等感を持ってしまうのです。

そして大人になっても神経症や偽りの罪悪感、低い自尊心、不安感に苦しみ、やることなすことすべてに、自分はダメだと悲観的な見方をするようになります。これが自分を責め、内側に向けられた怒りとなります。

この無価値感ゆえに自分で自分に罰を与えようとします。この怒りと敵意むくの混じった内的懲罰の報いが、かならずうつをもたらすのです。

また、心身症や不適切な行動などをひきおこしたりもします。

「偽りの罪悪感」に対する治療は、なぜ本人が罪悪感を持つようになつたかを理解し、自分の真の姿を評価することです。また罪悪感を抱く本人には、自分自身を非難する権利はなく、神のみがそうする権利があること、そして信仰を持つ人は審判と非難を神のみに委ねるべきであることを理解する必要があります。

そして現実的に到達可能な新たな目標を設定し、他の人と比較しないことが大切です。神が自分に期待していることと、自分の現在とを比較すべきです。神は私たちや私たちの子どもたちに、この世で完壁さを期待してはいません。私たちができるかぎり神の意思を求めることを望んでいるのです。

「正しいものは信仰によって生きるものである」と、また「人は信仰によって正当化される」と言っています。そして彼は、自分を救うための良い行ないよりも、おんちょう神の恩寵のほうを信頼するようになったのです。

心が痛みつけられて疲弊する原因

ためこまれた怒りがほぼすべてのうつの根ではあっても、心の痛みに苦しむケースは他にもあります。

たとえば孤独のつらさは、たとえその孤独な人がうつにはならなかったとしても、かなり深刻でしょう。心の痛みには3つのおもな原因があります。

自己肯定感の欠如

ひとつは自己肯定感の欠如、すなわち自尊心が低いことです。たとえば、親は第一子に多大な期待をかける傾向があり、そのためか長子は職業の面では成功していることが多いのですが、本人はそのことを少しも楽しんでいないことが多いのです。

しかも、長子も末っ子も自尊心が低いということが多々あり得ます。たとえば末っ子は、親離れされることがいやでたまらない母親によって甘やかされ、過保護になります。

このような末っ子は10代に少し反抗的になる傾向があります。そしてアルコールや薬物を乱用することで、仲間(ピアグループ)に合わせようとします。

もはや母親には手や口を出してほしくないので、今度は母親のかわりに考えてくれる役割を仲間に求めるのです。自分で考えるのは怖く、自分より自立しているように見える他の10代の子どもたちよりも自分は劣っていると感じ、自尊心が低くなります。しかし自尊心の低さをカバーするために、自分がかなわないと感じるしっかりしている10代の子どもたらを小ばかにしたりします。

自分の低い自尊心は実につらい重荷であり、この怒りが自分に向けられるとうつになります。うつは母を失う新生児から、体が弱って気弱になっている百歳の老人まで、あらゆる年代の人をおそいます。

過剰に厳しい親もまた、子どもの自尊心が低くなる要因になります。子どもは、親は正しく、自分が完壁でないのは自分のせいだと思ってしまうのです。10代、そして大人になると、この誤った罪悪感は怒りが内に向いてうつが出てくるまで大きくなります。

冷たくつき放す母親、受身的であったり、あるいは普段ほとんど家にいない父親を持つ子どももまた自分の正常な依存したいという欲求が満たされなかったために自尊心が低く、うつになりやすいと言えます。

たとえばほとんど身体的刺激を与えられない新生児は、たとえ十分な栄養を与えられていても、衰弱したり死亡したりする場合もあります。たとえそうならなくても、新生児が親との親密な関係を獲得する試みに失敗すると、あきらめて、ひきこもるようになります。

そして、親密になることに恐れを抱き、のちに友人からも何度も拒否されるような状況に身を置くようになります。新生児、幼児期のときに親密になることを恐れるように学んだために、友人に自分を拒否してもらったほうが、彼らを自分の選択で遠ざけているのだという事実に気づくよりも痛みが少なくてすむのです。

このような、友人のいない内向的性格は、自己評価も低く、うつにかかりやすくなります。フロイドの過去の心的外傷や生物学的要因を重視する立場と対照的に、劣等感を重視した) は、「劣等感」という言葉を作った人です。

彼と彼の支持者らはうつの原因の理解に大きく貢献していますが、自己評価の欠如が、人間の感情的痛みの主たる原因であることは疑いもありません。

2.他者との親密さの欠如

2番目の原因は、他者との親密さの欠如、孤独感です。神は人間が互いを必要とし合うように我々を作りました。親密な友情を築くことは、その報酬とともにかならずや何らかのトラブルもともないます。

人間は基本的にわがままであり、親密な友人でさえもたまには、互いに気に障り合うものです。でもたまに友人と衝突することは、一貫した絶え間ない孤独の痛みよりはるかにましです。

孤独はうつと同じように、私たちが自分で選択した結果なのです。要するに、私たちがいつのまにか選びとってしまっているのです。孤独を味わう人は、「必要な努力をしない」ことを選んでいるのです。

彼らの心は親密になることに対する恐れに支配されてしまっており、本当は孤独を味わわなくてもいいことにまったく気づいていません。この症候群を持つ人は表面的な友人を作ることで孤独感を補おうとしますが、もっとも深い感情を分かち合う親密な友人は一人もいません。

孤独な人の多くは、他人は自分と近づきになりたくないのだと思っています。しかし現実には、彼らが自分で、他者と親密になることを拒否しているのです。でも自分自身の無責任さに気づきたくないために、人を責めるのです。この防御メカニズムは「投影」と呼ばれます。

なぜなら彼らは自分自身の拒否行為を他人に、まるで写真スライドのプロジュクターが、スライドそのものをスクリーンに写すかのように、他人に投影するからです。

他者との親密さの欠如こそが、感情的痛みの原因であることを見出しました。孤独はうつとは同義語ではないにしても、たしかに人をうつに陥れる要因になります。

孤独な人は自分を拒否すると思っている人(実際はしていなくても) に恨みをためこむか、または「拒否される人間」である自分を恨めしく思っています。もしかしたら配偶者や唯一の親友との死別を体験して、神に対して相当の恨みを抱いているかもしれません。そうして鬱積された恨みはすべて、うつをひきおこす原因になるのです。

3.神との親密さの欠如

感情的痛みの3つめの原因は、神との親密さの欠如です。人間はだれでも、内面の深い部分で神との関係を持つことでしか満たすことのできない空虚さを持っています。

キリストの使徒パウロは、神が自然の美しさを使って人間に創造主との関係に気づかせようとしていると言っています。あらゆる宗教的背景を持っていますが、しかし2~3回セッションをすると、ほとんどの患者がそれぞれの患者の言葉で、たとえば自分自身の罪深い状況や、清浄になりたい願望など、何らかの宗教的な問題を持ち出します。心の痛みには主として3つの原因があります。

  1. 自己肯定感の欠如
  2. 他者との親密さの欠如
  3. 神との親密さの欠如

こうした痛みの原因のいずれかにとらわれてしまうと、恨みの感情を蓄積することになり、そして結局はうつにつながっていきます。こうした原因によって育てられた痛みをいかに癒すかが大事なポイントです。